夏休みの思い出。約束していないのに、毎日誰かと過ごしていた
8/10(月)、お盆休みまであと3日。子供の頃の夏休みを思い出していました。ラジオ体操もプールも、夜の従姉妹とのトランプと毎日のような花火も、予定表なんてないし約束もしていないのに、毎日誰かと一緒にいた。大人になると人と会うには約束が要ります。特別なことは何もしていないのに、振り返るとあれは特別な時間だった、という話です。
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こんにちは、もち子です。 今日は8/10(月)。お盆休みまであと3日という月曜に、なぜか子供の頃の夏休みのことばかり思い出していました。
結論:予定も約束もないのに、毎日誰かと一緒にいた
先に結論です。 子供の頃の夏休みに予定表はありませんでした。何日に何をするというリストもないし、誰かと約束を取りつけた記憶もありません。それなのに、朝から夜まで毎日のように誰かと一緒にいました。
朝はラジオ体操、帰ってきたら宿題をやりながら朝のアニメの再放送、昼を食べたらプールか図書館、そのあと昼寝。夕方にもう一度元気になって、夜は従姉妹とトランプをして、毎日のように花火をする。いま思い出すのは、この何でもない時間のほうです。
ラジオ体操は、お菓子であり、集合場所だった
正直に書いておくと、健康のために起きていたわけではありません。首から下げたカードにハンコを押してもらって、最後まで通えばお菓子がもらえる。それだけのために、夏休みのあいだじゅう朝早く起きていました。
それでも、あそこには毎朝ちゃんと人が集まっていました。行くと伝えたわけでもないのに、行けば同じ顔ぶれがいる。眠い目のまま体操して、少し喋って解散する。今にして思えば、町内でいちばん出席率の高い集まりでした。
午前は宿題とアニメ、午後はプールか図書館だった
体操から帰って朝ごはんを食べたら、宿題を少しだけやります。テレビは必ずついていて、流れているのは夏休みの朝だけ組まれる子供向けアニメの再放送枠でした。アニメ劇場のような名前で、いろんな昔のアニメが2時間くらいぶっ通しで流れる。だらだら宿題を進めるというより、気づくと手が止まったまま2時間見ているのが、もち子の午前でした。
昼ごはんのあとはプールか図書館です。どちらもほとんどお金がかからないうえに、ここでも必ず知っている顔がいました。連絡手段を持っていない子供が、それでも毎日ちゃんと合流できていたのが不思議です。
夜は従姉妹とトランプと、毎日のように花火だった
帰ってきたら昼寝です。休むために寝ていたというより、朝から動きまわって子供なりに電池が切れていたのだと思います。気づくと寝ていて、起きると夕方。そのぶん充電は済んでいるので、夜は従姉妹や親戚の子と集まれる。トランプを配って、飽きたらゲームに移って、そのあとは外に出て花火です。
それも一度や二度ではなく、毎日のようにやっていました。当時は誰が用意してくれているのかなんて考えたこともありませんでしたが、大人になった今になって思います。よく毎日買ってくれたものです。子供が何人がかりで燃やし尽くしても、次の日にはまた袋がある。来年も同じように集まると信じきっていて、あれが終わる日が来るとは一度も思っていませんでした。
大人になると、人と会うには約束が要る
社会人になって、使えるお金もまとまった休みも手に入りました。それなのに図書館にもプールにも行かないし、夜にトランプをする相手も、一緒に花火をする相手もいません。時間が足りないからだと思っていましたが、今年のお盆は4日空いています。足りないのは時間ではなく、約束なしで会える相手のほうでした。
大人が人と会うには、まず予定を出し合って、日を決めて、店を取って、直前に体調と天気を心配します。段取りを踏むぶん会えたら嬉しいけれど、行けば誰かいる、という気安さはもうありません。従姉妹も大人になって、それぞれの家とそれぞれの夏を持っています。大人になるってさみしいな、と思います。
自由に使えるお金も休みも増えたのに、いちばん気軽だったものから順に手が届かなくなっていく。今年のお盆は予定を立てないと決めましたが、夏はやらないことを先に決めると決めた年でもあるので、予定を埋めないことのほうを準備だと思っておきます。
まとめ:特別なことは何もしていないのに、特別な時間だった
こうして書き出してみると、我ながらずいぶん地味な夏休みです。旅行に行ったわけでも、写真に残るような出来事があったわけでもありません。
それでも振り返ると、あれは特別な時間でした。特別にしていたのは予定でも出来事でもなく、約束もしていないのに毎日誰かがそこにいたことのほうです。当たり前だと思っていたことが、いちばん贅沢だったのだと思います。気づくのはいつも、それが終わってずいぶん経ってからです。
今年のお盆に予定はありません。決めたときは何もない4日間になる気がして少し寂しかったのですが、特別なことをしなくても特別な時間になり得ることは、子供のもち子がすでに証明してくれていました。